シジュウカラの社会note

食と農、会計税務、学び直しを切り口に、 社会のしくみを考えるための思考ノートです。人は、いつでも設計しなおせる。

なぜ私は記者から税理士を目指すのか

「なぜ農業記者から税理士を目指しているのですか?」

この質問は転職時に聞かれましたし、最近でも聞かれます。
たしかに、農業と税理士。一見すると、まったく別の世界に見えるかもしれません。

私は18年間、日本農業新聞で記者を長く経験し、そして経営企画、人事として働いてきました。
長年の取材でのテーマは、女性農業者、地方の伝統料理、鳥獣害対策、緑茶や和紅茶、ハウス栽培の野菜、かんきつ類――。
どれも「農業」という言葉で括られますが、現場はいつも暮らしそのものでした。

取材先で何度も耳にしたのは、こんな言葉です。
「作ることは好きなんだけどね」
「数字の話は、正直よく分からなくて」
「制度があるのは知っているけど、難しそうで後回しにしている」

技術も努力もある。真面目にやっている。
それでも、なぜか苦しそうな人が多い――。
記者として現場を歩けば歩くほど、私は強い違和感を覚えるようになりました。

その違和感の正体は、農業の問題ではありませんでした。
「お金」と「制度」と「時間」の話が、生活から切り離されてしまっているという、構造の問題だったのです。

なぜ私は、伝える側から、税を扱う側へ進もうとしているのか。
そして、取材で見えてきた「暮らしとお金の現実」とは何だったのか。

この記事では、農業記者だった私が税理士を目指すことになった理由を、少し長くなりますが、正直に書いてみたいと思います。

 

問題は農業ではなく「構造」だった

長く取材をしてきて分かったのは、
この問題が農業特有のものではない、ということです。

  • 情報にアクセスできる人と、できない人

  • 数字を言語化できる人と、感覚だけで判断せざるを得ない人

  • 「お金の話=怖いもの」と刷り込まれてしまった人

これは、農業だけでなく、
小さな事業を営む人、家計を切り盛りする人、子育て中の家庭にも共通しています。

制度はある。支援もある。
けれど、それを「自分の言葉で理解できる形」に変換してくれる存在が、圧倒的に足りない。

私は記者として、制度を紹介し、課題を伝えてきました。
それでも、「知っている」と「使える」の間には、大きな溝があると感じていました。

 

なぜ税理士を目指すことにしたのか

記者として取材を続ける中で、私は次第に思うようになりました。

「伝える」だけでは、足りないのではないか。
制度の外側から眺めるだけでなく、内側から支える役割が必要なのではないか。

税理士という仕事は、
単に税金を計算する職業ではありません。

  • 数字を整理し

  • 制度を翻訳し

  • その人の暮らしや事業に合わせて、現実的な選択肢を示す

それは、私が18年間、取材現場で見続けてきた
「本当は必要とされている役割」そのものだと感じました。

農業と税は、決して遠い存在ではありません。
どちらも、「続けるための土台」を支えるものだからです。

 

これからこのブログで書いていきたいこと

このブログでは、
税やお金の話を、専門用語ではなく、暮らしの言葉で書いていきたいと思っています。

  • 忙しくても、考えることをあきらめなくていい

  • 完璧でなくても、設計はできる

  • 数字は、怖いものではなく、味方になる

農業記者として現場を歩いてきた視点と、
これから税理士として学び、関わっていく立場の両方から、
「続けるための考え方」を共有していきます。

もしあなたが、
仕事や家庭、学びの中で「このままでいいのだろうか」と感じているなら、
このブログが、少し立ち止まって考えるきっかけになればうれしいです。