今日、衣替えの最終版をしました。
冬物を片付け、春夏物を整理し、本棚まわりも少し掃除。
すると、ずっと「このくらいのサイズ感が欲しいな」と思っていたトートバッグが、家の奥から出てきました。
タリーズの福袋に入っていた赤いトートバッグです。
少しくたびれてはいましたが、洗えばまだ十分使えそうでした。
私は最近、エルベシャプリエのような大きめトートバッグが欲しいなと思っていました。
仕事、大学院、勉強道具、子どもの荷物……。社会人学生になると、とにかく荷物が多い。軽くて大きいバッグがあると便利そうだな、と。
でも、整理してみると、家にすでに「ほぼ理想のサイズ」のバッグがあった。
なんだ、これでいいじゃん。
そう思った瞬間、少し面白かったのです。
もちろん、数万円の出費を防げたという意味では「節約」なのかもしれません。
でも、それ以上に大きかったのは、
「悩みが一つ減った」
という感覚でした。
バッグを探す時間。比較する時間。
買うか迷う時間。レビューを見る時間。
そういう小さな思考の負荷が消えたことで、不思議と気持ちが軽くなりました。
そして、部屋や本棚が少し整ったあと、私は自然と「論文を読もうかな」という気持ちになっていました。
ここで思ったのです。
もしかすると、
掃除すると勉強時間が増える
という感覚は、気のせいではないのかもしれない、と。
散らかった部屋は「未処理タスク」の集まり
社会人になってから強く感じるのですが、人間の集中力は有限です。
特に、税理士試験や大学院の研究のような「考える勉強」は、かなり脳のエネルギーを使います。
単純暗記だけではなく、
- どこが論点なのか
- なぜその制度があるのか
- 判例はどう整理されるのか
- 先行研究と何が違うのか
を考え続ける必要がある。
つまり、「脳の作業スペース」が必要なのです。
ところが、部屋が散らかっていると、そのスペースがじわじわ奪われます。
例えば、
- あの書類、片付けないとな
- この服、もう着るかな
- 本棚がごちゃごちゃしてる
- あれどこに置いたっけ
- そろそろ掃除しないと
こういう小さな“気がかり”が、常に脳の片隅に残る。
一つ一つは小さい。
でも積み重なると、かなり重い。
しかも厄介なのは、自分では慣れてしまって気づきにくいことです。
税理士試験の勉強でも、「今日はなんだか集中できないな」という日があります。
でも、よく見ると、机の上が散らかっていたり、探し物が多かったりする。
実際、今日も本棚を整理したことで、
「あの資料どこだっけ」
が減りました。
すると、論文を読むまでのハードルが下がったのです。
掃除は「判断の前倒し」
片付けは、単なる家事ではないと思っています。
むしろ、
判断を前倒しする作業
です。
例えば衣替えでも、
- これは着るのか
- 来年も使うのか
- 手放すのか
- どこに収納するのか
を決める必要があります。
つまり、「未決定状態」を減らしている。
これは実は、勉強とかなり似ています。
税理士試験でも、
- どこが重要論点か
- どこは後回しにするか
- どの教材を軸にするか
- 何を捨てるか
を決めないと、勉強が進みません。
大学院の研究でも同じです。
先行研究を大量に読んでいると、最初は全部重要に見えます。
でも、そのままでは論文にならない。
だから、
- この論点を使う
- ここは切る
- この判例を中心に据える
- この議論は扱わない
という整理が必要になる。
つまり、
学ぶという行為そのものが、「情報の片付け」なのです。
だから私は、掃除や整理をすると、不思議と勉強もしやすくなるのだと思っています。
頭の中の整理と、部屋の整理は、どこかつながっている。
「足りない」と思っていたけれど、家にあった
今回のトートバッグの件も、少し象徴的でした。
私は、「新しいバッグが必要」だと思っていました。
でも実際には、家にあった。
しかも、かなり前から。
これはモノだけではなく、勉強にも似ている気がします。
例えば受験生時代、
- 新しい参考書
- 新しい勉強法
- 新しいノート術
を探したくなることがありました。
でも、本当に必要だったのは、
「今ある教材を繰り返すこと」
だったりする。
大学院でも、
「もっと資料を集めないと」
と思うことがあります。
でも実際には、まず今ある論文をちゃんと読む方が大事だったりする。
つまり、人は不安になると、
「足りない」
と感じやすい。
そして、外に答えを探しに行く。
でも、掃除をして、持ち物を見直していると、
「もうすでに持っていた」
ことに気づく瞬間があります。
それはモノだけではなく、
- 知識
- 経験
- 積み重ね
- 学習履歴
にも言えるのかもしれません。
母のワンピースが、娘の夏服になった
今日の片付けでは、もう一つ面白いことがありました。
母が若いころに着ていたワンピースが出てきたのです。
以前、譲ってもらっていたのですが、母は身長150cm、私は163cm。
私が着ると丈が短すぎて難しく、「せっかくもらったけど着られないな」と思いながら、長い間タンスの肥やしになっていました。
でも今回、ふと思いついて、小学4年生の娘に着せてみたら、これがちょうどいい。
娘も鏡を見ながら、
「おばあちゃんと一緒なんだ!」
と嬉しそうでした。
なんだかこちらまで楽しくなってしまいました。
しかも、これでまた夏服を一つ買わなくて済む。
娘の洋服代は私が出しているので、
「これでまたテキストが一冊買えるな」
と思ったら、ちょっとラッキーな気分になりました。
でも、ここでも感じたのです。
掃除や整理というのは、単に「捨てる作業」ではない。
むしろ、
今あるものの価値を再発見する作業
なのだと。
しかも今回は、節約だけではなく、
- 母から娘へつながる服
- 家族の記憶
- 「おそろいだね」という会話
まで生まれた。
新しく買うことでは得られない豊かさも、あるのかもしれません。
節約というより、「学ぶ余白」をつくる
最近、「節約」という言葉について考えることがあります。
もちろん、大学院に通いながら働く以上、固定費や支出を見直すことは重要です。
バッグを買わなければ、その分、本代や学費に回せる。
それも事実です。
でも、最近の私は、
「お金を減らさない」
ことよりも、
「思考のノイズを減らす」
ことの方が大事なのではないかと思っています。
モノが多い。
選択肢が多い。
未処理タスクが多い。
そうすると、人は疲れます。
疲れると、勉強に向かう気力がなくなる。
逆に、
- 部屋が整っている
- 必要なものがすぐ見つかる
- 持ち物が把握できている
- 判断が減る
だけで、かなり楽になる。
すると、「ちょっと論文読もうかな」という気持ちが生まれる。
これは根性論ではなく、環境設計なのだと思います。
学びなおしは、「生活」込みで設計する必要がある
学生時代と違い、社会人の勉強は、勉強だけしていればいいわけではありません。
仕事もある。
家事もある。
育児もある。
人間関係もある。
その中で、税理士試験や大学院を続けるには、
「勉強時間を増やす」
だけでは限界があります。
むしろ必要なのは、
勉強できる状態をつくること
なのだと思います。
そのためには、
- 掃除
- 整理整頓
- 持ち物管理
- 固定費管理
- 家事導線
のような、一見勉強と関係なさそうなことが、実はかなり重要になる。
今日、部屋を整理して、バッグを洗い、母のワンピースを娘が着て笑っている姿を見ながら、
「ああ、こういうことなんだな」
と思いました。
掃除をすると勉強時間が増えるのは、
気合いが入るからでも、
運気が上がるからでもなく、
脳の容量が空くから
なのかもしれません。
そして、その余白ができたとき、人はようやく、落ち着いて学ぶことができるのだと思います。